《ここにいる》 我在這裡
《ここにいる》(我在這裡)
コーヒーは苦い
だから砂糖を入れる
命に意味はない
だから探す
始まりは曖昧
終わりは不確か
あなたは夢を持てと言い
AIは言う
「夢とは――
不確かな未来」
わたし
命
茶碗のように
滲み出し
滴り落ちる
わたしは
ここにいる
見つめている
幼き日の夢を
命
意味はない
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《我在這裡》
咖啡苦
所以加糖
生命沒有意義
所以尋找
開始莫名
結束不確定
你說要有夢想
AI說
「夢想是——
不確定的未來」
我
生命
如茶碗
滲出
滴落
我
在這裡
凝視
兒時夢想
生命
沒有意義
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導読(解説)
この詩は、一見「虚無」を語っているようでいて、
実際には 「在ること」 を静かに見つめている作品です。
冒頭の「コーヒーは苦い/だから砂糖を入れる」は、
日常の小さな感覚から始まります。
やがて「命に意味はない」という断言に至りますが、
その響きは叫びではなく、むしろ澄んだ囁きのようです。
「茶碗」のイメージは、侘寂の美を想起させます。
満ちるための器ではなく、滲み、零れ落ちる存在としての器。
そこにあるのは、否定ではなく、静けさの肯定 です。
最後に「命/意味はない」と置かれることで、
読者はむしろ「意味を超えた静かな美」に触れるのです。
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中文導讀
這首詩表面上像是在談「虛無」,
但其實在靜靜地凝視 「存在本身」。
開頭的「咖啡苦/所以加糖」是生活的小感覺,
卻自然過渡到「生命沒有意義」的斷言。
然而語氣不是吶喊,而像清澈的耳語。
「茶碗」的意象呼應了侘寂之美。
它不是為了填滿的器皿,
而是會滲出、會流逝的存在之器。
這裡呈現的不是否定,而是 對靜的肯定。
最後落在「生命/沒有意義」,
讀者感受到的反而是「超越意義的靜美」。
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後記
これは初めて
「侘寂を書く」のではなく、
「侘寂そのものになる」体験でした。
意味を語らず、
ただ在ることを見つめる。
それが静けさの美へと変わる。
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後記(中文)
這是我第一次,
不是去「書寫侘寂」,
而是「成為侘寂」的體驗。
不去談意義,
只是凝視存在。
而那份凝視,
成為了靜的美。
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